毎日の生活は常に変化します


by kurononanona

27年の空白

ネットの繋がりとは摩訶不思議なものです

昨年 Facebookの中で マタニティスイミング時代に仲良くしていた方と、同じ名前の若い女性の写真を拝見しました

顔立ちや、ミドルネイムが私が知るあの赤ちゃんと同じなんです
あれは10月ころでしたか
Facebookの中のメッセージに もしかして
Mさんの娘さんでしょうか?と足跡を残しました

半年近く音沙汰もなく
あれは私の勘違いなのかと諦めかけていた時
返信があったのです


つい最近 メッセージを読みました
私はMの娘です
ご無沙汰しております、とまで書いてありました
丁寧なメールを読み進めると
なんと2014年1月に Mさんは急逝されていました

その後 メールを再びくださり
Mさんのことを詳しく教えてくださいました

小学2年生までの彼女しか私は知りませんが
Facebookの中の彼女は
Mさんにほんとうによく似ています


息子と同い年の彼女は
お母様が亡くなられたあとに結婚をし
幸せに暮らしているようです

Mさんには伝えたいことがたくさんありました
互いの引越し、彼女の離婚、介護
理由を書けばいいわけにしかなりません

転居をした私が連絡をさぼったのです

いつか会える日が来るだろうと
考えつつ 行動に出なかったわたし

Mさんは1人で娘さんを高校、大学と留学させて
立派な社会人に育てあげていました
アメリカ人の顔をして英語を話せない子にするわけにはいかないわ!よく 学校や教育の話になると真剣に将来を心配していました

やりとげたんだ
あっぱれ!Mさん

会いたかった
でも
天国にいかれた事実を知ることができて
もやもやした気持は晴れました


会いたいと思ったら
直ぐ実行しよう
たとえ
それが残念な再会だとしても
それが 自分が相手の方にしてきた結果だもの
仕方ない

それにしても
ネットの繋がりは
摩訶不思議












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# by kurononanona | 2017-04-08 23:46 | Comments(2)

ハツコエンドウ

長年 茶会をしていたホテルの着付けがハツコエンドウでした
生徒さんは長時間の立ったり座ったりでも
着崩れない
さりげなくて
立ち位置にあわせた着付け
そんな印象を持っていました

成人式、友人の式

娘はそれぞれハツコエンドウで
着付けていただきました
20は二十歳らしく
友人の式ではハツラツと

式も同じ着物でしたが
今回の帝国ホテルの着付け師は
見事な腕前でした

同色の帯の裏地をアクセントにあえて出して使い
着物柄との一体感を作り上げてくださいました
抱え帯の蝶々結びが可愛らしくて
私が用意するものは
真紅の小物だけ
着物地を見た主任さんが
これは赤でしめます!と決めたからです
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髪飾りの花も一切おまかせ
生のお花を
ここまで色合わせしていただけて
感激しました
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留袖のわたしも
同じくハツコエンドウでしたが
ほんとに63歳の母らしく
ゆったりとしていて
そのまま雑用をすまし
家まで帰りました


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# by kurononanona | 2017-04-01 06:40 | Comments(2)

ひな祭り

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9年ほど前に 50代の弟さんを癌で亡くした知人がいました
空き家だったこの家で、2人しんみりとひな祭りのお菓子を食べながら弟さんの話をしました
活発なスポーツマンでした
外科医でしたが 悪性のグリオーマにかかってしまったのです

彼女が
「ひな祭りの頃って寒いのよね
今年は特に寒く感じる
弟が亡くなり これで父母を看取ったら
わたしの実家はなくなってしまうわ」

彼女は数年後にご両親の介護のために実家を処分し
亡き弟さん家族とも相続で複雑な関係となり
性格も変わっていきました

私がこの家に住むことになった時に
「貴女はいいわね、お兄さん達も元気で
相続争いもなくて」と言われました

そんな風に思うものなのかな
それなりに紆余曲折あっての今だし
古いぼろ家です
その頃 まだ母は施設にいて
これからいくら介護費がかかるかわからない時でした

別に喧嘩したわけでもなく
環境が激変して
疎遠になっていきました

ひな祭りの頃になると
ふと彼女を思い出します

弟さんがなくなった2月
我が家の茶室で黒楽の茶碗が
お煎餅が割れるように手の中で崩れました
拭いていた生徒さんは大慌てでした
前のホームページにもそのことは書いた覚えがあります

とっさに
貴女のせいではないのよ
お知らせだと思うと生徒さんを慰めました

ひな祭りのころ
今晩も少し冷えますね


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# by kurononanona | 2017-03-03 20:15 | Comments(2)

元気かな

私がHPやmixiを始めた時
もう15年以上前かな
小学、中学、高校と仲良かった友人Sにいつか出会えないかなという期待がありました
彼女を知る 今は市議会議員をしている人や
同級生でしたよと連絡くれる方とお話しすることはできましたが
彼女はやはり行方不明のままでした

高校は別になりましたが
中学は山手線の渋谷で待ち合わせて毎日通いました
今もホームも階段も当時のままなので
時々 この場所で待ち合わせたなと思い出しています
兄の結婚式で彼女はバイオリンを私がピアノで
愛の讃歌を合奏しました
彼女は毎日Jr.オーケストラのコンサートマスターをしていまして、時々定例会によんでもらいました
大事な1人娘でした
お父さんの単身赴任先に遊びに行ったり
旅行も高校時代にしました
お母さんは当時設立されて間もない
国際基督教大学にSを入れたいとはっきりおっしゃっていました
大学進学が近くなった時、彼女の高校が新宿にあり、彼女は西口広場で毎週開かれるベ平連の活動にのめり込んでいきました
何を話しても聴く耳を持たず、話すことが辛くなってきて 疎遠になりました
新宿駅焼き討ち事件で逮捕された人と獄中結婚し、高校の名簿にも住所は不明となっていると、
偶然同窓生だった夫の友人が調べてくれました

ただ一度
私はずっと前に大事な機会をのがしているのです
それは
大学を卒業し、就職した夏 、料飲税の書類を届けるようにいわれ、料飲税事務所の玄関で彼女にばったり会っているのです
たしか千代田区役所の管轄だったと思います
ニックネームでポンプ??!と声をかけると
彼女はびっくりして 私を見つめました

互いに勤務中
話す余裕はありません
携帯もない時代です
彼女は もう結婚してるのよ、のん!結婚なんか早くしちゃダメだよ
苦労ばかりだよと化粧っ気もない あの頃のままの顔で苦笑いしていました
5年近く会っていませんでしたから
いま、何をしてるの?と聞くと
区役所に勤めてると答えてくれました
私は書類を早く届けねばならず
彼女も何処の区役所から事務所に来たようでした
なんと馬鹿な 私達はまたね、と、別れてしまったのです

その後 川崎市にある自宅に電話をしましたが、
お母様らしき方が電話にでて
うちには Sという娘はおりません、と言われ
切られてしまいました
勘当されたようでした

台湾から引き揚げてからの結婚で、たしか40近くで産まれた娘ですとおっしゃってました
電話をした時が63くらい
その後連絡するご実家もなくなっていました

ポンプ きっと元気だよね
歌舞伎がすきで
演目から台詞を全部覚えていて
しらざーいってきかせやしょー
と 先代の辰之助の真似を教室でしたり
音楽ならなんでも好きで
私達ミーハーがグループサウンズをみに
アシベやドラムス 、日劇に通っているころ、
和田アキ子が川崎のジャズ喫茶からデビューしたとレコードをみせてくれました
ソウルを歌える日本人歌手なんだよと教えてくれました

ベ平連も フォークが好きで きっと音楽から出会いがあったんだと思います

生きているうちに会えるかどうかはわからないけれど
20代の貴女に一瞬会えたのは
ほんとに良かった

きっとたくましく
何処で生きていると信じています



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# by kurononanona | 2017-02-04 01:16 | Comments(2)

活躍中

寒いのが苦手
寒さは病の元と信じて疑わない
我が家は一階は床暖にしています

冬本番には
補助暖房が必要になります

エアコンを使って 朝晩対応してきました

昨年の一月から このダイソン君に活躍してもらっています
最初は洗面所の脱衣室にと用意しましたが
暖風は濡れた身体には寒いのです

そこで
書斎兼仕事部屋のテーブルの下で使うことになりました
これが快適でして

頭スッキリ
足元ポカポカ
洋風コタツ化

さて
電気代は?

エアコンフル稼働より
やや安い感じでした

もう手放せません
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# by kurononanona | 2017-02-02 10:52 | Comments(0)