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それを しないで
散歩の時に
待ち時間に
レッスンの帰りに
大きな本屋で探す楽しみ
かなり古い本だから これは取り寄せになるかもしれない
先日 漱石の日記を書店で探しました
検索のパソコンの中には ★印で店内にあるはず
表示された場所に行くが
書棚にも その下の在庫にもない
隣で女性が立ち読みをしていた
邪魔にならぬように 店員さんと小声で会話
店員さんが
「言いにくいことですが 万引きなどでなくなるとパソコンはあると表示します」とのこと
レッスンの後にまた来ますと その場を去りました
40分以上経過して
再度 その棚にいくと
先ほどの女性はあいかわらず読んでいる
薄い本なら かなりのページ数はいっているはず
時間で交代になった別の店員さんが
また 探してくれた
それでもなくて 帰ろうと 本屋を出かかると
「ありました!」と私を追いかけてきてくれました
レジに行き 会計をし、ふと先ほどの棚の方に目をやると
あの女性
相変わらず 読まれておりました
立ち読みは 脚力で読むのですね
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by kurononanona
| 2009-09-26 10:26
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今日は実家の掃除に行きました
拭き掃除をして 雨戸の裏や 敷居 柱
主のいない家は いつのまにかつやがなくなり
ほこりっぽい
捨てるものは そろそろ捨てなくてはいけない
どれも カビがはえはじめている
廊下の奥に ずっとおかれっぱなしの箱があります
御歳暮かなにかで 缶詰のつめあわせが入っていたものだったかな
目にははいっていたけれど
開けようともしなかった
小さな おもちゃのような鍵もついていて
誰もあけたことがなかった
今日 押し入れの掃除のついでに 開けてみました
すると
グレーのおしゃれなリュックが出てきました
外チャックにはカンパンが一袋
中にはノートと筆記具
ミネラルウォーターが2本
紙コップ 紙皿
セロテープ 乾電池 砂糖 塩
はし タオル ごみ袋
非常用持ち出しでした
ノートの1ページめに
平成7年 3月 と書かれていた
自分の住所が書かれていた
母が用意した 非常持ち出し
おそらく 阪神大震災が起きた時に作ったものだろう
その後 水などは入れ替えたようで
賞味期限が 2001となっていた
今日 ちょっと施設で不思議な出会いがあったりしたものですから
このリュックには じ~んとくるものがありました
2000年に再度作ったとして
母は 78歳くらい
今度 このリュックに同じものを入れ替えておこう
もう会話とか 意思疎通ができない母なのですが
ここを 開けてごらん! と言われたようでした
一人で生き抜くっていうことは こういうことなんだと思いました
▲
by kurononanona
| 2009-09-25 21:00
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学生時代 ツーリングで川原湯温泉に一泊しました
写真にこっていた先輩が 絶対行きたいと宣言したせいです
若い女の子たちには なんか わびし~~~~この温泉
宿はどこも小さいので 温泉は共同浴場へと言われました
浴場は 板一枚で男女が分かれていて
まだ温泉にそう興味もなかった私達は カラスの行水のように出てしまったものです
背ー高のっぽのメンバーの男子の頭がちらちら見えるんですから
落ち着いて入る気になれませんでした
万座峠 草津 とかなりハードな合宿の途中だっと思います
ずっと忘れていました
ところが娘が小学校の高学年のごろ
一度 電車で草津にいくことがあり
吾妻線が前日の雨で止まってしまい
たしか 高崎かその先あたりで 電車再開を待ったのでした
その時に
再び見たのです
ダムに沈む温泉という言葉を・・・
草津口につくと
当時 首相だった小渕さんを祝う垂れ幕が
バスターミナルにかけられていました
3年前に 一度あの温泉に行ってみたいと思い、
軽井沢の旅の途中、車で行きました
小さな民宿のような宿が数件あって
渓谷に沿って 露天風呂がありました
川と温泉 これがテーマのような温泉街でした
お湯がよくて また来たいな~と思いました
そうか~
中曽根 福田 小渕さん
みなさん 群馬の方がたです
本当の目的は何なのか
過去の人も 現在の政権も
全く考えなくなってしまっていたのかな~
写真にこっていた先輩が 絶対行きたいと宣言したせいです
若い女の子たちには なんか わびし~~~~この温泉
宿はどこも小さいので 温泉は共同浴場へと言われました
浴場は 板一枚で男女が分かれていて
まだ温泉にそう興味もなかった私達は カラスの行水のように出てしまったものです
背ー高のっぽのメンバーの男子の頭がちらちら見えるんですから
落ち着いて入る気になれませんでした
万座峠 草津 とかなりハードな合宿の途中だっと思います
ずっと忘れていました
ところが娘が小学校の高学年のごろ
一度 電車で草津にいくことがあり
吾妻線が前日の雨で止まってしまい
たしか 高崎かその先あたりで 電車再開を待ったのでした
その時に
再び見たのです
ダムに沈む温泉という言葉を・・・
草津口につくと
当時 首相だった小渕さんを祝う垂れ幕が
バスターミナルにかけられていました
3年前に 一度あの温泉に行ってみたいと思い、
軽井沢の旅の途中、車で行きました
小さな民宿のような宿が数件あって
渓谷に沿って 露天風呂がありました
川と温泉 これがテーマのような温泉街でした
お湯がよくて また来たいな~と思いました
そうか~
中曽根 福田 小渕さん
みなさん 群馬の方がたです
本当の目的は何なのか
過去の人も 現在の政権も
全く考えなくなってしまっていたのかな~
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by kurononanona
| 2009-09-24 09:01
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by kurononanona
| 2009-09-13 06:49
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今日 ある場所へ行く予定でした
ところが ここは
金土日と祝祭日しか 開いていないと今朝知りました(残念)
月 水曜 が休館は よくありますが
ここは週末と祭日しかあいていない
茅ヶ崎の駅から近いらしく
山ひとつ 彼の家だった時代があったという
執筆していた部屋はそのまま 見学できるというから
一度は訪ねてみたい
先日 夫にいかない?と聞いた
開高健?あまり興味ないな~という
私も ろくに彼の本を読んだわけではない
オーパ!というアマゾンの釣り誌のような本を ちらちらと見たくらい
でも なんだかその書斎に行ってみたくなった
定かではないが 彼は重く ふかい 鬱体質だったらしい
書けなくて 何もできなくなると 海外の未開の地に行き
釣をして 落ちるだけおちて
そして 帰国して 本を書いていたという
山口瞳 開高健
このサントリーつながりの作家たち
少々面白そうです
山口さんの本などを読んで
一時期 本気で国立に住みたくなったことがありました

茅ヶ崎 天気のよい週末にいくことにします
ところが ここは
金土日と祝祭日しか 開いていないと今朝知りました(残念)
月 水曜 が休館は よくありますが
ここは週末と祭日しかあいていない
茅ヶ崎の駅から近いらしく
山ひとつ 彼の家だった時代があったという
執筆していた部屋はそのまま 見学できるというから
一度は訪ねてみたい
先日 夫にいかない?と聞いた
開高健?あまり興味ないな~という
私も ろくに彼の本を読んだわけではない
オーパ!というアマゾンの釣り誌のような本を ちらちらと見たくらい
でも なんだかその書斎に行ってみたくなった
定かではないが 彼は重く ふかい 鬱体質だったらしい
書けなくて 何もできなくなると 海外の未開の地に行き
釣をして 落ちるだけおちて
そして 帰国して 本を書いていたという
山口瞳 開高健
このサントリーつながりの作家たち
少々面白そうです
山口さんの本などを読んで
一時期 本気で国立に住みたくなったことがありました

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by kurononanona
| 2009-09-09 07:46
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Comments(2)
神谷さんの本をよんでいたら
島崎敏樹という文字が・・・
しまざき・・・そうだ
教養課程で心理学を教えてくださった先生でした
1975年に亡くなられていた
その先生が 神谷さんと 1960年代に会話をしている
心理学をやさしく 丁寧に説明してくださる先生でした
と
突然 成蹊大時代の授業が走馬灯のように思い出された
もう 過去の人ばかり
いろは字類抄の青木先生
短歌の前田先生
万葉集の遠藤教授(ご健在だと思います)
20そこそこで 自転車部でサイクリングばかりしている学生には
理解しがたい授業ばかりでした
かな文字の お と を と ぅを の違いについて
何時間も授業が続き
虫食いだらけの辞書をコピーしては 解読する
50代で三つ編み おさげの青木先生は 印象深い方だった
私はいつも逃げ腰
同じ自転車部のMは その後 研究室の助手となり
彼女の結婚式でお会いした青木先生は60を過ぎても 三つ編みをアップにして
少女のような瞳をしたままでした
短歌の前田先生は もう歩けない?の?と思うほどお年をめされていて
ゼミでは ほとんどの人が寝てしまう
それをいいことに 私は返事だけすると こそ~~っと抜け出し
自転車部の筋トレに出ていた
秋になり 出席率が危ぶまれ 京都でのゼミ合宿にはしっかり出ました
お上品なお嬢さんばかりで 先生のお酒につきあう人がいない
私はそんなに飲めないのだけれど
先生が「君?顔みたおぼえないな?」なんていわれ
隣でビール 日本酒 紹興酒と角砂糖を入れてぐいぐいっと!!!
「よし !よくつきあったね 」と先生は喜んだが
翌日の二日酔いのひどさは 一生忘れられない
釣鐘の真下に一日立っているような頭痛だった
冬 前田ゼミは「可」となり無事卒業となった
なぜ そんなことを思い出したのだろう
神谷さんの本が 人生を今いちど 考えなくてはならないと教えるからだろうか
島崎先生が書かれた 心の風物誌 心で見る世界 は アホ学生だった私にも
心理学の楽しさを十分わからせてくれる本でした
それ以上に 神谷さんの こころの旅 生きがいについて は すばらしい
このあと 人間をみつめて 遍歴 まで 読み続けたいと思っています
本の中では 過去と現在は何の隔たりもなく つながるのです
島崎敏樹という文字が・・・
しまざき・・・そうだ
教養課程で心理学を教えてくださった先生でした
1975年に亡くなられていた
その先生が 神谷さんと 1960年代に会話をしている
心理学をやさしく 丁寧に説明してくださる先生でした
と
突然 成蹊大時代の授業が走馬灯のように思い出された
もう 過去の人ばかり
いろは字類抄の青木先生
短歌の前田先生
万葉集の遠藤教授(ご健在だと思います)
20そこそこで 自転車部でサイクリングばかりしている学生には
理解しがたい授業ばかりでした
かな文字の お と を と ぅを の違いについて
何時間も授業が続き
虫食いだらけの辞書をコピーしては 解読する
50代で三つ編み おさげの青木先生は 印象深い方だった
私はいつも逃げ腰
同じ自転車部のMは その後 研究室の助手となり
彼女の結婚式でお会いした青木先生は60を過ぎても 三つ編みをアップにして
少女のような瞳をしたままでした
短歌の前田先生は もう歩けない?の?と思うほどお年をめされていて
ゼミでは ほとんどの人が寝てしまう
それをいいことに 私は返事だけすると こそ~~っと抜け出し
自転車部の筋トレに出ていた
秋になり 出席率が危ぶまれ 京都でのゼミ合宿にはしっかり出ました
お上品なお嬢さんばかりで 先生のお酒につきあう人がいない
私はそんなに飲めないのだけれど
先生が「君?顔みたおぼえないな?」なんていわれ
隣でビール 日本酒 紹興酒と角砂糖を入れてぐいぐいっと!!!
「よし !よくつきあったね 」と先生は喜んだが
翌日の二日酔いのひどさは 一生忘れられない
釣鐘の真下に一日立っているような頭痛だった
冬 前田ゼミは「可」となり無事卒業となった
なぜ そんなことを思い出したのだろう
神谷さんの本が 人生を今いちど 考えなくてはならないと教えるからだろうか
島崎先生が書かれた 心の風物誌 心で見る世界 は アホ学生だった私にも
心理学の楽しさを十分わからせてくれる本でした
それ以上に 神谷さんの こころの旅 生きがいについて は すばらしい
このあと 人間をみつめて 遍歴 まで 読み続けたいと思っています
本の中では 過去と現在は何の隔たりもなく つながるのです
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by kurononanona
| 2009-09-07 07:36
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今日は おやつの時間に母のところへ行きました
前日の外出でとても疲れていて
洗濯ものを干して ちょっと 横になったら ずいぶん寝てしまっていて
出かけるのもだるい感じでしたが
よし!と体を動かしました
母は病院でつけてもらった顔サポーターがうまくいったようで
しっかりした顔をしていました
ムースや 珈琲ゼリーを食べて
二人で週刊誌を読みました
(本人は読んでいるつもりらしく 早くページをめくるといやがります)
皇室の写真をみると とても反応するんですね
職員さんが ご飯などは 自力で食べるように戻しましたということです
すごい 前進 いや・・・回復というのか
いつもは 邪魔になるかなと下がってみているのですが
トイレとベッドでの寝おきを 若い職員さんに教えてもらいました
よし できそうだわ と
週刊誌を読んだ後
1人で 母をベッドへ移動させようとしましたが
あれれ・・・・母がベッドの枠から手を話しません
仕方なく もとの車いすへ バック
珍しく 母が ブフッと
と噴き出すように笑いました
下手だね
という眼をしていました
私はおかしくて つい
「ねぇ~~頼りない娘だね~~」といって苦笑い
職員さんが見かねて 手伝いにきましたが
先週病院にいけたのが よほどうれしかったのでしょう
何より 母は病院好きでしたから

もう9月
このまま しっかりした状態でいてくれたらいいのに
帰りのバスで 神谷さんの本を読み終わりました
若いころ この本を読めと言われても読めなかっただろう
多分 これから生きていくうちに何度となく 読み返す本になるだろうと思います
写真は先日の 介護タクシーでの通院の様子です
前日の外出でとても疲れていて
洗濯ものを干して ちょっと 横になったら ずいぶん寝てしまっていて
出かけるのもだるい感じでしたが
よし!と体を動かしました
母は病院でつけてもらった顔サポーターがうまくいったようで
しっかりした顔をしていました
ムースや 珈琲ゼリーを食べて
二人で週刊誌を読みました
(本人は読んでいるつもりらしく 早くページをめくるといやがります)
皇室の写真をみると とても反応するんですね
職員さんが ご飯などは 自力で食べるように戻しましたということです
すごい 前進 いや・・・回復というのか
いつもは 邪魔になるかなと下がってみているのですが
トイレとベッドでの寝おきを 若い職員さんに教えてもらいました
よし できそうだわ と
週刊誌を読んだ後
1人で 母をベッドへ移動させようとしましたが
あれれ・・・・母がベッドの枠から手を話しません
仕方なく もとの車いすへ バック
珍しく 母が ブフッと

下手だね
という眼をしていました
私はおかしくて つい
「ねぇ~~頼りない娘だね~~」といって苦笑い
職員さんが見かねて 手伝いにきましたが
先週病院にいけたのが よほどうれしかったのでしょう
何より 母は病院好きでしたから

もう9月
このまま しっかりした状態でいてくれたらいいのに
帰りのバスで 神谷さんの本を読み終わりました
若いころ この本を読めと言われても読めなかっただろう
多分 これから生きていくうちに何度となく 読み返す本になるだろうと思います
写真は先日の 介護タクシーでの通院の様子です
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by kurononanona
| 2009-09-04 18:29
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